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Tibet 2002 8/30 佑光

科学が私たちの生活に欠かせなくなっても私たちの生活には仏教が根ざし
気がつかないところでかかわっています。

 ■民族■
  チベット人と漢民族 ■言語■
  チベット語と中国語 ■宗教■
  ほとんどが大乗仏教 ■時差■
  一時間遅れ ■通貨■
  元(1元=15円)

 日本では何となく 罰が当たるとか極楽に行くなんて口にしているけれども
チベットの人たちはそれらをしっかりイメージとして捉えている。 悪い事をすると本当に来世にはひどい目にあうし、仏様だってやたらでっかくて上から見下ろしているようなものばかり。
 そんなチベットの人の信仰度ナンバーワンは観音様。 ダライラマはその化身とされています。

 チベット人は古くて由緒があるものよりも、きれいに美しくかざりたてたものが好きです。活きた信仰がそうさせるのでしょう。

 古いものでも塗りなおしたりするのでいつのものかはわかりません。日本のように美術品という感覚はないようです。

 大きくて 迫ります。

 お寺には大体キレイなものが安置されています。

 チベットの人たちは財産すべてを寺に寄進してしまうようなことが珍しくないのです。

 これも頻繁に塗り替えられています。

 ラサ空港から市内までの100kmの道のりの途中にて。

 いたるところではためくタルチョ。

 風でひらひらするたびにお経を読んだことになり自動的に功徳がたまります。

 午(うま)年のタルチョ。

 午年は13倍返しの功徳があるということで、今年の巡礼者の数はうなぎのぼり。

 ちなみにここでは亥(いのしし)年というのはなくて代わりに豚年というのです。

 早速日本に持ち帰り試してみました。



チベットの信仰生活

 路上で巡礼を続けるために寄付を募っていたり 純粋に生活のためであったり・・・。

 みんな暇さえあればマニ車(中にお経の入ったハンディ回し車)をくるくる回しています。

 子供たちもやっています。

 いろいろ売られています。

 中には高額なものもありますがチベットの人たちは一生モノのつもりであれこれ買うようです。

 ものを大事にする姿勢は見習いたいものです。

 むこうにポタラ宮が見えます。

 広場の手前にジョカン寺があります。

 ジョカン寺を中心にバルコルという大屋台街があります。

 ジョカン寺に早朝いってみるともうこんなに人が集まって五体投地をしています。この光景は一日中見ることができます。

 前のほうには地方から巡礼(買出し?)にきた僧侶が座ってお経を読んでいます。

 日本で言う麦茶感覚で飲まれているのがこのバター茶です。 成分は茶とバターと塩・・・なんだかスープのようです。

 コレはおいしい!・・・という代物ではないですが滋養と栄養補給に、というつもりでどんどん頂きました。

 バターには食用のものと献灯用のものがあります。巡礼者がつぎたしていきますので火は消えることがありません。
お皿に油と芯を入れてそれを燃やして灯明にするシステムなのでバター臭い上によく火事になるそうですが・・・。
チベット僧

 街を歩いているといろんな人がやってきます。赤ちゃんを私にぶつけてくる人(私の顔はご利益ありそう!?)や、近づいてきて恭しく帽子を取り頭を私の胸にうずめる老婆とか・・・短いお経を読んであげると私の手にそっとお布施を預けてくれました。

 本堂です。
 ここでみんなが集まってお経を読むのですが本尊様というのが必ずしも真ん中にはなくて別棟にあることも多々です。またお経は個々に違う部屋で地鎮祭のように読み続けていたりもします。

 マニ車です。中にはお経が入っていてまわすごとにお経を読んだのと同じ功徳が得られます。

 この他にハンディタイプのものや水車でまわすタイプ(中~巨大)までサイズもさまざまです。

 典座(台所)です。色色なものの命に支えられている私たちの命を司る所だけにお寺ではとても重要な部署。日本と同じくかなり整理整頓が行き届いています。

 特に禅宗はトイレと台所に関してとてもうるさいのです。

 道具類は何年も使われているのにぴかぴかです。 ここは500人の僧侶を預かる寺の台所だけに大仕事です。

 毎日の食事はそんなに手の込んだものは作りません。私も皆の口に入るときの温度から最終的に全員に残らないようにきちんと作ることなどでかなり苦労したものです。
 人数が多ければ量の多少には本当に苦労します。

 みんなかなり腕が太くてたくましいです。

 それでいて人懐こくしかめつらした人はあんまりいないので安心。

 日本の修行僧には怖いのがたくさんいますから・・・・・。
チベットの勤行

 ものすごい人数です。
どこからともなくわさわさと湧き出てくるのでびっくりします。みんな普段は何をしているのでしょう、普段はあまり姿が見えません。

上座があります。正面中心にえらい人が座りますからわたしは隅っこを探します。

 一番末席があいていました。・・・ここいいかな・・・三拝して座ります。

 監視役の僧侶にはちゃんと挨拶しました。

 日本から来る人は稀なので皆に不思議がられています。

 禅宗の修行では他の人と口をきくことはなく教えてもらうこともしません。すべて見て学び、考えて学ぶのです。だからこういうときには観察力がモノをいいます。

 お経が始まりました。体を前後左右にゆすりながら読みます。一斉唱和ではなく声が波のようにこっちに来る感じです。

 お経の中間に昼食です。バター茶が配られます。各自持参の椀についでもらいます。 

 下座にいる人たちは若者ばかりなので気さくでイキがよいです。バター茶を配る時には韋駄天のように走り回って配ります。日本の禅修行風景と同じ。

 何百人もの僧侶全員に行き届くのにに五分かかりません。 私も差し出すと「えこひいき」なく注いでくれました。

バター茶を少しだけ残しておいて巾着から大麦粉を取り出して加えて団子を作り食べるものもいました。ツァンパといってチベット人の主食です。

 禅宗と同じく使った器はその場で拭いて各自しまいます。

 バター茶を注ぎ終えた人たちが次々に私の周りに座り食事開始。 あっひとり座れない、私が占領してました。それでもみんなで身を寄せ合ってご飯です。

 もうすっかり打ち解けてしまいました。

 このままチベットに残っても結構楽しいのではないかなとこっそり考えていました。
チベット問答

 チベットの仏教は問答(試験)というものがあります。ここでは各自実力を試しあい、試験に臨んで研鑽しています。

 かなりまくし立てられます。

 禅宗も問答があります。これは禅宗がある意味で仏教の一番最初の形を大事にしているからで、「仏心宗」とも呼ばれています。お釈迦様の修行が脈々と続く系統を保っています。